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5月28日の情熱大陸に、ボクシングで金メダルを奪った村田諒太が出演する!

 

金メダリストたるや、ボクシングの頂き!世界王者になる事が宿命である!

 

との評価のなか、相当なプレッシャーを全身に浴びながら勝ち星を重ねていっていた。

 

しかし、直前で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦12回戦。

 

夢への扉をこじ開けようとする偉大な挑戦である。

 

そういえば、最近ワシは夜中に経験者とボクシングのスパーリングをした!

 

偉大な挑戦だ!

 

ん?

 

罵詈雑言は受け付けんぞ( ̄ー ̄)

 

そして、

 

ボクシングの難しさを体感した(´・ω・`)

 

空振った・・・

 

打たれた・・・

 

ボコボコだった・・・

 

痛かった・・・

 

鼻血でた・・・

 

ん?

 

村田の世界戦の話の間に語るなだって?

 

罵詈雑言は受け付けんぞ( ̄ー ̄)

 

ふん!

 

クリックすると新しいウィンドウで開きます

 

もう語らないよ(´;ω;`)

 

語ってやんないからな~((((´;ω;`))))

 

・・・

 

で、続きだ。

 

しかし、村田諒太はミドル級1位のアッサン・エンダムにまさかの判定負けで初黒星を喫する。

この結果を受け、世界中がこの判定に疑惑の目を向け、社会現象を巻き起こしている現在である!

 

さらに、この結果を受け、引退を匂わせた発言まで飛び出した!

 

だが、吉報もある。

 

村田諒太の再起の噂や、世界戦のオファーや再戦の話が持ち上がりつつあるようだ!

 

今回はそういった謎である部分や、情熱大陸で語られているアドラー心理学が村田の心にどういった影響があったのか?

 

そういった部分に踏み込んでみたいと思う!

 

まずはプロフィールから言ってみようと思う!

 

 

村田諒太プロフィールや経歴や戦歴

 


名前:村田 諒太
階級:ミドル級
身長:182.8cm
リーチ:188.0cm
誕生日:1986年1月12日
出身地:奈良県奈良市

 

村田諒太は5歳から水泳を習い始めた。

 

そして、中学時代は陸上部に所属していた。

 

幼いころからスポーツをそていたスポーツ少年だ!

 

しかし、どれも長続きしなかったようで、良くある話だが、

 

思春期になると徐々に素行も悪くなり、ケンカに明け暮れる日々を送っていたそうな。

村田諒太とボクシングの出会い

 

運命の出会いとはひょんな事から訪れるモノらしい。

 

村田諒太の場合はこんな感じだった。

 

相変わらず荒れた生活を送っていた村田が、金髪で学校に登校した日の事だ。

 

担任教師に呼び出され、視聴覚室で担任教師と二人っきりになった時の事である。

 

重苦しい空気が流れる違和感ある空気の中、担任教師が口にした言葉が意外だった。

 

「おまえ、なんかやりたいことはないんか」

 

そう聞かれた村田諒太は驚いたらしい。

 

てっきり説教でもされる物だと構えていたからだ。

 

だが、ふと我に返り、村田諒太は素直な言葉を担任教師に返した。

 

その言葉とはこうだ。

 

「ボクシングやったら、やるわ」

 

というものだったそう。

 

この担任教師の問いかけがきっかけとなり、心のどこかにあったボクシングへの思いを口にした村田諒太。

 

こうして自らボクシングの道へと進み始めたのだった。

 

ボクシングを始めると才能を発揮!

 

担任教師との会話があったあとの事。

 

すぐに地元の高校のボクシング部が主催するボクシング教室に通い始めたという村田諒太。

 

これにも担任の先生の配慮があったようだ。

 

しかしボクシングは厳しいスポーツだ。

 

金メダリストまで上り詰めた村田諒太でも、やはり人である。

 

初めたばかりのころは練習が辛過ぎて、2週間ほどで練習に行かなくなったそうな。

 

しかし、再びボクシング教室に通う事を決意し、徐々に才能を発揮し始めた村田諒太。

 

中学3年になると大阪の進光ボクシングジムに入門し本格的なトレーニングを始めるまでに成長。

 

才能はこうやってはぐくまれていったんだと思う。

 

うん。やはり偉人の年表は面白い。

 

そして、高校入学後は一気に全国区の選手へと成長し、2年生の時には選抜・総体・国体の高校3冠という偉業を達成。

 

3年時にも選抜と総体を制し、高校時代は5回のタイトルを獲得という圧倒的な強さを見せつけた。

 

また東洋大学に進学後もボクシング部で活躍し、2004年には全日本選手権初優勝。

 

2005年にはキングスカップに出場し銅メダルを獲得し、同年にはアジア選手権で銅メダル。

 

さらに同年、世界ボクシング選手権大会に出場するも1回戦敗退という結果に終わった。

 

だが、確実にステップアップし、村田諒太はアマチュアボクシング界では知らない者はいないような有力選手へとなったのだ。

 

村田諒太は一度ボクシングを引退していた

 

村田諒太は、2006年以降、ドーハアジア大会や世界選手権に出場するも敗退。

 

2007年には全日本選手権では2度目の優勝を果たしたんだが、翌年のオリンピック・アジア予選で敗退し、北京オリンピックの出場権を獲得できなかったことで一度現役から退いた。

 

2008年に一度ボクシングから引退すると同年に大学を卒業し、そのまま東洋大学に就職、大学職員として働くとともに、東洋大学ボクシング部コーチとしての活動をスタート。

 

しかし、またもや村田諒太の運命を引っ掻き回す事件が起こるのである。

 

 

東洋大学ボクシング部が活動自粛

 

2009年2月、東洋大学ボクシング部の元部員が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された!

 

その事件により、東洋大学ボクシング部や活動自粛を余儀なくされ、関東大学リーグでも1部から3部へ降格処分が下されることになったのだ。

 

村田諒太は、コーチとして指導していた元部員の事件を防げなかったことに自責の念を強烈に感じたのだ。

 

それと同時に、こう考えた。

 

自分自身が再びボクシング選手としてカムバックし、全日本選手権で優勝することができれば、東洋大学ボクシング部の復権につながるのでないか?

 

それで、悩んだ果てに現役復帰を決意!

 

そして現役復帰を果たすと厳しいトレーニングを重ね、2009年から2011年の3年間にわたり、全日本選手権で3連覇を果たすのである。

 

凄ぇなおい!

 

さらに2011年7月、インドネシア大統領杯で初の国際大会の優勝を勝ち取るとともに、

 

同年10月には世界選手権に出場し銀メダルを獲得したことでロンドンオリンピック出場権を獲得するに至ったのだった。

 

アマチュア時代戦績

 

ロンドンオリンピックで金メダルを獲得したことで一躍有名になった村田諒太である。

 

あれは衝撃だった!

 

日本人がミドル級でオリンピックの金メダリストに輝いたんだからな!

 

まさに偉業だ!

 

村田諒太のロンドンオリンピックでの活躍はご存知の通り。

 

日本人選手によるボクシング競技での金メダル獲得は、1964年東京オリンピックでの、バンタム級・桜井孝雄さん以来48年ぶりの快挙である。

 

そして、アマチュア時代には、138戦119勝(89KO/RSC) 19敗という戦績。

 

素晴らしい!

 

続いて、プロになってからの戦績といこうか!

 

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2013年8月24日 VS 柴田明雄(ワタナベ):日本
2R 2:24 TKO プロデビュー戦 勝利

 

2013年12月6日 VS デイブ・ピーターソン:アメリカ合衆国
8R 1:20 TKO 勝利

 

2014年2月22日 VS カルロス・ナシメント:ブラジル
4R 0:43 TKO 勝利

 

2014年5月22日 VS ヘスス・アンヘル・ネリオ:メキシコ
6R 2:35 KO 勝利

 

2014年9月5日 VS アドリアン・ルナ:メキシコ
10R 判定3-0 勝利

 

2014年12月30日 VS ジェシー・ニックロウ:アメリカ合衆国
10R 判定3-0 勝利

 

2015年5月1日 VS ダグラス・ダミアオ・アタイデ:ブラジル
5R 0:38 TKO 勝利

 

2015年11月7日 VS ガナー・ジャクソン:ニュージーランド
10R 判定3-0 勝利

 

2016年1月30日 VS ガストン・アレハンドロ・ベガ:アルゼンチン
2R 2:23 KO 勝利

 

2016年5月14日 VS フェリペ・サントス・ペドロソ:ブラジル
4R 2:50 TKO 勝利

 

2016年7月23日 VS ジョージ・タドーアーニッパー:アメリカ合衆国
1R 1:52 TKO 勝利

 

2016年12月30日 VS ブルーノ・サンドバル:メキシコ
3R 2:53 KO 勝利

 

2017年5月20日 VS ハッサン・ヌダム・ヌジカム:フランス
12R 判定1-2 敗北(WBA世界ミドル級王座決定戦)

 

世界戦まで無敗である。

 

戦績からみても、かなりの強さがわかって頂けるであろう。

 

ただ、今回の世界戦の判定を受け、引退をにおわせる様な発言もあった。

 

「気持ちの整理は必要です。集大成として見せたいところが今日だった。

 

負けたからもう1回頑張るんです、とは言えない。簡単な日々を歩いてきたつもりはないので。」

 

個人的には再起を願っている。

 

そして、色々な噂が飛び交っている村田諒太の再起や再戦や世界戦の話を続いてして行こうと思う。

 

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