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松本人志は、相方の浜田雅功とではなく、ソロ活動としてラジオ番組を放送していました。

 

その名も「放送室」です。松本人志がやるラジオ番組だからこそ、他とは一味違う番組です。

 

完全なるフリートークでありながら、「すべらない話」級のお話の連発です(笑)

 

恐ろしいほどの笑いのセンスの持ち主のお二人。

 

お笑い芸人「松本人志」

 

放送作家「高須光聖」

 

二人は尼崎に生まれ落ちた、完全なる同級生で友達です。

 

そして、ラジオ番組名の由来なんですが

 

高須光聖が放った一言で決まったようです。

 

「俺ら中学時代に放送部だったから、放送室でええやん」

 

との軽い軽いノリのような物で決まったんだとか(笑)

松本人志は、NSC大阪1期生です。NSCは吉本興業の芸人が通うスクール。

 

以前は、芸人になるには弟子入りすることが常識だったのですが、

 

その常識を覆して始まったスクールの第1期生なんです。

 

決して失敗することは許されない実験台とでもいいましょうか?

 

プレッシャーがかなりの濃度であったはずだと思います。

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松本人志の放送室の歴史を紹介!

2001年10月4日~2009年3月28日まで放送された、伝説のラジオ番組です。
お笑い芸人松本人志さんと、放送作家の高須光聖さんのお二人で、約1時間に渡るトークを繰り広げる番組でした。
息の合った、非常に高度なやり取りを、お二人が繰り広げる事で有名な人気番組です。
実はお二人、兵庫県尼崎市出身の、正真正銘の同級生で、友達であります。
それは、息も合いますよね。
松本人志の放送室。番組当初のコンセプトは、

 

「誰にも教えるな!」

 

というものでした。

 

それは、お互い友達でありながら、仕事仲間であるお二人なんですが、

 

お互いお仕事が忙しくなりすぎて、二人で喋る時間が取れなくなったという事から、二人が喋る場所を求めていました。

 

全然時間が取れない。仕事が忙しい。

 

なら、いっその事、喋る場所を仕事にしてしまおう。

 

という松本さんの発想から、放送室が始まったみたいです。
なので、二人が日常会話を求めて始まった番組という事から、松本さんが誰にも教えるな!

 

と唱えていたのでしょう(笑)
しかし、こんな二人がサシのトークを始めて、世間がほっておくわけありません。
人気はすぐに上がっていったみたいです。
一部、深夜のタクシー運転手や、深夜営業の個人の飲食店の方など、

 

放送室が深夜放送という事もあり、根強いリスナーとなりうっていたといいます。
このお二人なら、若い方を中心に人気を博す事は容易に想像が出来ますが、

 

実は、お二人の地元の尼崎の住人の方も、リスナーが多かったとか。
二人のトークの中には、お二人が子供時代を過ごした尼崎でのエピソードも多いです。

 

本当に誰も知らない名前がドンドン出てくる!

 

仲の良い友達が会って会話をするように進行する放送室。

 

松本人志と高須光聖しかしらないような、名前がドンドン出てきます。

 

例えば、尼崎の同級生達!

 

小学生の時、番長だった和田(ワンちゃん)

 

高須光聖いわく、喧嘩で負けそうになったら、

 

次の日から周りを巻き込んで高須光聖をを無視する攻撃を仕掛けるなどの動きをしていたとか(笑)

 

放送室動画

電気屋の藤井

和田(ワンちゃん)の家のエアコンのドレンホース詰まりを見て、電気屋の血が騒いだのか、

 

ドレンホースを咥えて、必死に吸い付いた経験アリ(笑)

 

もしゴキブリが詰まっていても飲み込む覚悟の吸引だったという

 

友達思いの一面も(笑)

 

 

松本の元相方の伊藤

松本人志の元相方で、小学生の時漫才をしていた。

 

だが、浜田と喧嘩し、キリンビールの壁に頭をぶつけられて敗北。

 

その後、気まずさも引きずってか、松本や浜田と絡まなくなった・・・

 

とか色々なエピソードが満載です。

 

しかし、それこそが放送室の持ち味です。

 

ナイスライブ感!

 

そして、伝説のラジオ公開収録! in 武道館へ!

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伝説を作った放送室 in 武道館!

 

高須光聖の生誕40周年を記念して、史上最大規模で放送室の公開録音がおこなわれました。

 

会場はなんと武道館。

 

松本人志と高須光聖の尼崎の同級生達も集合します(笑)

 

高須光聖はお客さんの前では極度に上がってしまう男のようで、

 

最初こそぎこちなかったですが、そこは流石にテレビマン。

 

徐々に場馴れしていき、最後はいつものテンションに(笑)

 

これは伝説ですね。

 

松本人志の同級生たちが映像に残っている上でコレだけ語ったのは後にも先にも無いでしょう!

 

松本人志と高須光聖を知っておくには必見で、

 

色々な彼らの側面を見れることでしょう!

あっ!

 

同級生の森岡を忘れていました!

 

森岡は、8人兄弟で、弟は柿のとり方が非常に巧みである(笑)

 

と噂が立っていたとか(笑)

 

森岡のお父さんはけっこうデリカシーのない方で、

 

かなりの豪快さが際立っていたらしく、森岡のいじられるネタのレパートリーの1つだったみたいです。

 

基本にならって「あ」から始まるストーリー!

松本人志の放送室、最初の放送から50回まではテーマが50音順に決まっていました。

 

50音が終了するとハガキ職人からのハガキに変わり、次第にハガキを無視した進行へと放送室は進化を遂げていきます。

 

すべての物語は、「あ」から始まったのです(笑)

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色々巻き込んでカプリチョーザ杯!

 

カプリチョーザの食事券をかけて参加者は事前に与えられたテーマを駄洒落風に松本・高須との電話の会話の中で織り込み、言葉の数と面白さを競う。決勝大会以降は行われていない。

 

松本人志の放送室を代表する企画ともなりました!

 

その名もカプリチョーザ杯(笑)

 

4回の大会が行われ、その勝者が第5回チャンピオン大会!

 

決勝戦で舌戦を繰り広げました。

 

強者揃いの出演者の中で、勝ったのは意外にもアノ人ですね。

 

是非動画を御覧ください(笑)

 

楽しい番組!伝説にも終わりが・・・

 

どんなに楽しいことでも終わりがくる。始まってしまったことには、必ずお別れの日がくるものです。

 

それが自然の摂理ですし、これは仕方ないことです。

 

そして、お別れはある日突然にやってきます。

 

松本人志の放送室にも、サヨナラの日がきてしまいました。

 

それは、2009年3月28日のことでした。

 

もう少しで400という数字に到達したのですが、なんとも切りが悪目です。

 

これも、放送室っていえばそう聞こえてきそうですがね。

 

全てが緩めでクオリティの高いラジオだったと思います。

 

しかし、終わってしまいました。

 

しかし、終わりになったことにはある理由があったのです。

 

それは、松本人志が現在レギュラー出演していて、放送中の「ワイドナショー」にて発言していました。

 

それは、「今までは自分のことを面白おかしくしゃべっていたけれど、家族が出来たことにより家族を配慮しての決断だった」とのことです。

 

本当に家族を持って意識が変わったのでしょうね。

 

うん。

 

いい父親ですね。

 

更に、元SMAPの中居くんが昔語っていましたね。

 

松本人志は家族を持ったことにより、もしも家族に何かあったときのために体を鍛えだした!

 

と語っていましたね。

 

松本人志は否定気味でかなり照れていましたね(笑)

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放送室復活を願う声!

 

結婚を理由に、放送室を終了した松本人志。

 

そこには、彼なりの家族への誠意と優しさが隠されていましたね(笑)

 

きっと、再び始まるはずと願っている声も沢山有るようですね!

 

私もその一人でありますが(笑)

 

だからといって離婚だけはしないでください。

放送室紹介